画像:https://www.urasunday.com/shimanamitasogare/ より
しまなみ誰そ彼
『しまなみ誰そ彼』という漫画を読んで色々と考えさせられたので、作品紹介(ネタバレ無し)も兼ねて記事にしたいと思います。
作者は『隠の王』の鎌谷悠希。全四巻でサクッと読めます。
「しまなみ誰そ彼」あらすじ
「お前、ホモなの?」
クラスメイトに「ホモ動画」を観ていることを知られた、たすく。
自分の性指向が知られたのではないかと怯え、自殺を考えていた彼の前に、「誰かさん」と呼ばれる謎めいた女性があらわれた。
「誰かさん」は、たすくを「談話室」へと誘い…?
尾道を舞台に鎌谷悠希が描く、生と性と青春の物語。
裏サンデー より
(ネタバレに配慮しつつ)補足すると、
主人公、「たすく」は自分の性指向に蓋をし、隠して生活している高校生の男の子。
夏休み直前のある日、たすくはクラスメイトに「ホモ動画」を観ていることを知られてしまいます。
日常が崩壊しかねない事態に絶望したたすくは、死を考えるまで追い詰められます。
そんな時、彼の前に現れた不思議な人物「誰かさん」によって「談話室」に導かれます。
談話室は住み手がいなくなり、古くなった民家を改築して造られた場所。
そこでは小学生から老人まで様々な年齢の男女が集まって過ごしていました。
談話室のメンバーの中には、ボロボロになった住民のいない家を取り壊したり改築したりする「空き家再生事業」のNPO活動をしている人たちがおり、たすくは成り行きで作業を手伝うようになります。
談話室に集う人々との交流の中で、それぞれが悩みや想いを抱えて生きていることを少しずつ知っていくたすく。
そんな折、たすくが想いを寄せているバレー部のエース、椿くんも活動に参加するようになり……?
といった感じ。
読む前は表紙と裏表紙の説明を見て「男同士のラブコメ……? いわゆるBL漫画かな?」と思っていました。
しかし読み進めていくと、うまく表現できないのですが「BL感」というか、創作された男同士の恋愛物語である、という印象は感じませんでした。
かといってたすくを女の子として読んでいたわけではなく、あくまで「たすく」という一人の人間の苦悩や恋慕、そして周囲の人達の心の動きを読者として追えました。
また椿くん、大地さん、内海さん、美空さん、チャイコさん……とたすく以外の登場人物も非常に魅力的で、それぞれが苦悩や理想を抱いており、エピソードも豊富にあります。
性と生と青春の物語
本作の中盤には、LGBTの人を善意により積極的に受け入れ、多くの人へ理解を広めようとする小山さんという人物が登場します。
小山さんは、事あるごとに「自分が理解者である」アピールをし、LGBTであることを公言することを推奨し、講演まで取り付けようとします。それがあくまで善意に基づくものだからなおタチが悪いのですが、これには登場人物たちも読んでいる方もウンザリです。
この人物は極端に描かれているので「ここまではしない」とも思えますが、しかし「絶対にいない」とも言い切れない妙なリアリティがあります。理解しようとグイグイ踏み込んでいくこと自体がどうなんだろう……とも思わされました。
確かに正しい知識を広め、理解者を増やし、性的マイノリティの方たちが権利を獲得していくこと、偏見や差別を無くしていくことは大きな意義があると思います。
しかしながら、すべての性的マイノリティの人たちがそれを望んでいるのか、また望んでいるとしても自ら矢面に立って積極的に推進していく意志があるのか。また「LGBT」という型に嵌めることのできない方もいるのでは、類型化してしまうことの弊害、では社会はありのままの指向を多様性として需要できるのかetcetc......
こうした問題は非常にデリケートで「こうすべき」と簡単に論じることはできないと感じます。
悪意とは戦えるけど、善意とは戦えない
少しでも人と違う生き方をしてると、ことあるごとに説明を求められるの、確かに一生続くと思うとキツイよねえ
わかろうとするのは悪くないけど わかった気でいちゃいけない
作中の台詞に繰り返しハッとさせられます。
人は理解できないものを型に嵌め、レッテルを貼ることで安心感を得る生き物です。
性的指向以外にも、国家や、民族や、年齢によってレッテルを貼る行為は古来から行われてきました。
しかし誰一人として同じ人間がいないように、個々人の思想や嗜好は本来区分けできるようなものではなく、もっと濃淡、グラデーションで表されるようなものではないでしょうか。
「しまなみ誰そ彼」まとめ
取材などからここまで描けるのかと思っていたら、作者本人もXジェンダー(エックスジェンダー。クロスジェンダーではない)であることを公表していました。
参考:
NHKオンライン | 虹色 - LGBT特設サイト | メッセージ | Xジェンダーもあるんだよ!!
憶測ですが実体験や周囲の方の経験などから、真に迫ってくるリアリティを覚える場面が描かれているのでしょう。
私はこれでも、いわゆるLGBTの人について、それなりに理解のあるつもりでいました。
しかしそれは「世の中には色々な嗜好の人がいるのだから、差別をしたり、攻撃をしたりはしないようにしよう」という程度の消極的なもので、なおかつ常に意識をしていたものでもありませんでした。
この作品を読んで、性的マイノリティの方が何を想い、どう暮らしているのか、その一端にほんの少しだけ触れられた気がします。
ただ、この作品がすべての性的マイノリティの方の共感を得られるとも思えませんし、性的マイノリティの方の考えを知るためのバイブルだ! などと言うつもりもありません。
しかし私のように、普段性的マイノリティの方を意識することのなかった人が、一度じっくり考えるきっかけにはなるんじゃないかと思います。
また、自分で性的マイノリティのことばかり書いておいてなんですが、この『しまなみ誰そ彼』を「性的マイノリティの漫画」とするのは早計だと思います。
物語としても、胸が苦しかったり、感情を揺すぶられるシーンも多い名作です。
私は最終巻、某イベント当日の椿くんの台詞でボロボロ泣きました。
作中の言葉を借りるなら、それらは「一面」でしかありません。
人や物事にはそれを表す様々な面、要素があって、その一部分だけを切り取って「こうである」と語れるものではないのです。
たとえば、「この世界の片隅に」が単なる戦争漫画ではないように、この作品も青春ドラマ、家族、別れ、成長、尾道のご当地作品などなど……様々な切り口やテーマがあります。
まさに示唆に富んだ作品と呼ぶに相応しいと感じます。
私自身、この作品からまだまだ読み取れていない部分があるだろうと感じているため、時間を置いて何度も読み返したいと思います。
機会があればぜひご一読を。